6月から代表理事を務めることとなりました西口です。本務の方でも、学会などでも、「長」や「代表」などのお役は柄ではないということでこれまではずっとお断りしてきましたが、今回は行きがかり(先の協議会にご参加の方はご存じのこと)などもあり、どうも引き受けざるを得ない状況となりました。ただ、「引き受ける」と申し上げたときには、「組織の維持・管理的なことは苦手なのでそのあたりはご勘弁をいただいて、わたしなりに、国立大学における日本語教育(学)のさらなる整備・発展と、メンバーの皆さんの教員としての資質・素養の一層の相互研鑽が促進されるように尽力したい」というようなことを申し上げました。理事の皆さまにはいろいろとお世話をかけ、サポートをお願いすることになろうかと思いますが、何とぞよろしくお願いいたします。で、この代表理事あいさつもわたしらしくいきたいと思います。
大学における「日本語教育」ということを議論する場合には、(a)留学生に対する日本語教育の実施、(b)日本語教師(日本語教育者)の養成(教育)、(c)日本語教育のカリキュラム・教材開発と実践の創造、(d)日本語教育学の研究、と大きく4つに分けて議論した方が課題が明確になると思います。これらを誰が担っているのかを考えてみましょう。
(a)は、元留学生センターの日本語教育セクションの教員が担っています。1990年代に各国立大学に順次に設置された元留学生センターは当初は日本語教育のセクションと留学生指導のセクションで構成されていましたが、2000年前後に短期留学の受入の機能が加わり教員の増員も行われました。さらに2004年の法人化前後からは一般学生の派遣留学の機能が重要部分として追加されて、それと同時に名称も留学生センターから「国際センター」や「国際教育センター」や「国際交流センター」などとなりました。要は、インバウンドとアウトバウンドの両方を担うセンターとして改組されたわけです。さらに、2010年代以降になると、「国際○○機構」や「グローバル○○機構」というようなより大きな機構の傘下に入っていくという動きがあちこちの大学で出てきました。これは、「センター」が大学のグローバル化の推進を総合的に担う機構の一部となって、引き続き「センター」の役割を果たすという態勢になったということでしょうか。そして、こうした事態の展開の中での悲しい事実は、「センター」はこのように拡充され受入留学生数も各大学で着実に増加しているのですが、日本語教育セクションの教員数は増えていないということです。それどころか、日本語教育セクションの教員は、短期留学プログラムの運営もしなさい、超短期のプログラムやその他の受入プログラムの企画・開発・運営などもしなさい、と言われている状況です。日本語教育セクションの教員が便利使いされて、日本語教育の仕事に集中できる力も時間もどんどん削がれている感じです。
2つ目の(b)は、「センター」日本語教育教員ではなく、文学部や教育学部等の学部・研究科所属の日本語教育専門の教員が担っています。「センター」教員が大学院教育を兼任する場合もないことはありませんが、そういうケースはわりあい少ないように思われます。筑波大学などは元留学生センターの先生方は(もうだいぶ以前から)皆さん「大学院人文社会科学研究科国際日本研究専攻」の構成員という形になり、留学生センターも(これは2015年度から)グローバルコミュニケーション教育センターの一部門になっています。筑波の先生方は、学部教育も大学院教育も担いつつ、日本語教育の実施の方の仕事もされているようです。東京外大の留学生日本語教育センターの先生方も最近大学院総合国際学研究科所属になって、大学院の教育を担当しつつ、センターの仕事をするという形になったと聞いています。名古屋大学は、元「センター」の先生方は国際言語文化研究科所属になったということでしょうか。現在の国際言語センターも国際教育交流センターも独立の部局としては名古屋大学HPでは出てきません。いずれにせよ、筑波や東京外大のようなケースはまだ少ないのではないでしょうか。大方は、「センター」教員は(a)の日本語教育の実施、学部・研究科教員は(b)の日本語教員養成・日本語教育者教育という二元的な構図になっていると思います。
この「あいさつ」はこういう組織の話をあれこれするのが目的ではありません。言いたいのは、(1)「センター」教員は(a)担当で学部・研究科所属の教員は(b)担当という状況は「不健全」ではないかということと、(2)その状況が(c)や(d)の進展を阻害しているのではないか、ということです。そして、(3)日本語教育実践に携わっている「センター」教員が主導して学部・研究科所属日本語教育教員と連携して(c)や(d)を推進するべきではないか、ということ、です。ただ、3点目の連携は実際には困難なので、やはり(c)や(d)を促進するためには教員が学部・研究科での教員養成と「センター」の日本語教育実施を兼ねるのがよいと思います。日本語教育にイノベーションを引き起こすのは大学の日本語教育(学)関係の教員をおいて他にないと思うし、日本語教育のイノベーションと相俟ってこそ新たな日本語教育学の発展も期待できるのだろうと思います。
もう一つ、これは上のイノベーション云々の話とも関わることですが、学生大量移動時代(インバウンドとしては短期・超短期留学生の着実な増加や学部英語プログラムの開設・拡充など)を迎えて、そうしたグローバルに生きる若者たちに提供するのにふさわしい新機軸の日本語教育の開発が今期待されているのではないかと思います。新機軸の基本的観点は、語学的な教育的価値の上に語学以外の大学教育としての教育的価値を重ね合わせた教育プログラムに日本語教育を仕立て直すことです。周知のように、複言語主義を掲げて推進されたヨーロッパにおける言語教育革新の運動は、最近では市民性教育の旗印の下にさらに発展を続けています。これは、語学教育の上に複言語主義や市民性教育などの教育的価値を重ね合わせたものです。他の教育的価値の重ね合わせ方としては、CLIL(内容言語統合的学習、content and language integrated learning)があります。CLILは何らかの内容と言語の両方を統合的に学習して両方を習得させようという教育方略です。(ここまで話すとすでにお分かりのように、この話は基礎日本語教育よりも、中級後半から上級の日本語教育についての話です。)現代の日本の大学で学ぶグローバルに生きる若者たち対するテーマとしては、グローバル化と人の移動、ジェンダー、エネルギーと環境、技術と人と社会、持続可能な開発などの人類的なテーマを、日本を一定程度中心としながら、縦の歴史的な視点と横の国や地域間の比較の観点なども交差させて扱うと、かれらの興味や関心に応えることができるかと思います。そして、そうしたCLILのコースを他の大学教員といっしょに、あるいは自身でいずれかのテーマを決めてそのテーマについて真剣に勉強して、コースを作り上げるのです。そのように開発され実践された教育が学会等で報告され、一方でWebでカリキュラムやリソースなどが公開されれば、パブリックに利用可能な教育リソースとなってそうした教育実践が普及し、また実践と研究が相互に活性化されるでしょう。
このように考えると、後者の新機軸の日本語教育の開発に着手することが、今わたしたち大学の日本語教育(学)教員が自身の責任と守備範囲でできる新展開への第一歩かと思います。そして、さまざまな日本語教育開発の試みのシェアリングを国大協の場で活発に行っていきたいと思っています。皆さんの野心的な試みと積極的なシェアリングを期待しています。