一橋大学 教授 西谷まり
2020年6月1日より代表理事を務めることになった西谷まりです。新型コロナ肺炎が世界中で拡大し、社会生活の有様がいやおうなしの変化を迫られているこの時期に、国立大学日本語教育協議会(以下、国日協)初の女性代表理事就任、その決定を行った理事会がオンライン会議というのも象徴的な出来事かもしれません。
国日協は「主に国立大学で日本語・日本事情等の留学生教育に携わっている教員が、日本語教育をはじめとする留学生教育の現場での問題を多角的にとりあげ、相互に情報を交換し、よりよい方向をめざして協議するための組織」とホームページ冒頭に書かれています。しかし、近年、「国立大学の協議会として続けるか、私立大学を含めた拡大版を作るか」等の方向性も検討されるようになっています。国日協の設立は、全国各地に留学生センターができた時期ですが、前西口代表理事がご挨拶に書かれているように「留学生センター」の名前を残している国立大学は減少しています。私は学内の組織の改組によって、現在は「森有礼高等教育国際流動化機構・国際教育交流センター」というオマジナイのような長い名前の組織に所属しています。国日協のこれからの在り方について、みなさんと議論を重ね、新時代の国日協を作り上げていきたいと思っています。
私の信条は、人生は「運、縁、実力」で決まるということです。これはそれぞれに独立したものではなく、縁をメンテナンスしていると運に巡り逢う、実力をたくわえれば縁に恵まれる、運をキャッチすることで、縁と実力が生かされるのだと思います。
私は男女雇用機会均等法が施行される直前に大学を卒業しました。いったん一部上場企業に就職したのですが、1年ほどで離職し、「インドシナ難民が定住促進センターを出たあとに日本語を勉強するためのボランティア教師が足りない」という、小さな新聞記事を見たことがきっかけで、日本語教師を志しました。1975年にベトナム戦争終結、その後、ベトナム、ラオス、カンボジアから多くのボートピープルが国外に逃れた時期でした。そして、その同時期に、中国残留日本人孤児の帰国も続いていました。日本語教師になって欧米のビジネスマンの個人レッスンでお金を稼ぎながら、インドシナ難民、中国帰国者の方々のための地域日本語教室でボランティアをする、ということが私の日本語教師歴のスタートです。国立大学日本語教育協議会のメンバーのなかには、地域日本語教育に大きな関心と労力を注いでいる方々がいることを私は知っています。
現在、日本は少子高齢化による労働人口の減少を補うため、外国人材の日本への定着化を図ろうとしています。外国人材の受け入れを拡大する改正出入国管理法が2019年4月に施行され、ますます外国人材の数は増えていくことが予想されます。それにより、日本国内における在留外国人への日本語教育に対し、関心が高まっています。日本語教育へのニーズの高まりを背景に、同年6月21日に日本語教育推進法が参議院本会議で可決、成立しました。「日本語教師」「日本語教育」に政策の追い風が吹き始めたところで、新型コロナ肺炎のために人の移動が極端に制限され、留学生や技能実習生等が入国できない状況が続いています。一方、オンライン教育を活用して海外から日本語科目等を受講できる状況も広がったのは興味深い経験です。私の大学院の演習には、博士課程の修了生で、「武漢」の大学教員が自らのゼミ学生を連れて参加していますし、文科省の奨学金で来日予定だったベトナムの大学教員も自分の大学の仕事をしながら演習に参加しています。このピンチをいかにチャンスに変えていくか、国日協の「実力」と「縁」を結集して「運」を呼び込んでいきましょう。そのために力を尽くしたいと思います。